戰國茶具

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茄子は天下、肩衝は将軍


天下三茄子

九十九髪茄子
松本茄子

大名物。漢作茄子茶入。紹鴎茄子
もとの所持者松本氏とはおそらく松本珠報であるでしょう。今井宗及からは「松島の壺」「紹鴎茄子」が贈られ織田信長、

のち織田信長、豊臣秀吉と伝わり、1615年(元和元)6月大阪城の焼跡より掘り出され、徳川家康よりこれを掘り出した藤重藤元・藤厳父子に与えられた。

この父子は当時有名な漆工で漆繕いに妙を得ていました。

現存する松本茄子は七、八分通りは漆繕いであります。

1876年(明治九)に藤重家を出て岩崎家に大りました。

(『東山御物内別帳』『天正名物記』『今井宗久日記』『大正名器鑑』) 松本珠報-鳥居引拙-武野紹鴎-今井宗久-織田信長-今井宗久-豊臣秀吉-今井宗久-今井宗薫-今井宗呑-徳川家光-東本願寺-河村瑞軒-閑事庵宗信-鴻池善右衛門


富士茄子

大名物。唐物茄子茶入、富士山が山の中の大王であるようにこれは唐物茄子茶入の中の大王という意味でこう名付けられたものでしょう。

事実、唐物茄子茶入中の白眉で、いずれの点においても富士の名称にふさわしい、大振りの堂々たる茶入であります。

足利義輝所持、名医曲直瀬道三、祐乗坊、織田信長、道三の孫翠竹、豊臣秀吉を経て前田利家に大り、加賀家三宝物の一つとして秘蔵されました。


唐物茄子茶器,天下三茄子之一。經足利義輝、豐臣秀吉之手,秀吉から譲られた逸品で、最後為加賀前田家所有。


天下三肩衝

天下三肩衝初花、楢柴肩衝、新田肩衝最早屬室町幕府第8代將軍足利義政故有「肩衝は将軍」之謂。

新田肩衝:
唐物肩衝茶器,天下三肩衝之一。日本南北朝時代新田義貞愛用,村田珠光所有,後又被三好宗三收藏獻給織田信長、本能寺の変後一度明智光秀持有,光秀が討たれた後に大友宗麟,天正15年豊臣秀吉以「似茄子」茶入與100貫跟大友宗麟交換新田肩衝。
秀吉在當年的北野大茶會使用此物。
その後大坂城が落城すると、徳川家康の命により藤重藤元・藤厳父子が焼け跡から拾い出して、漆で修正すると徳川家の所有物となった。これを水戸家始祖・頼房が拝領して現在に至っている。

初花

日本に伝来する以前は楊貴妃の油壺であったとも。
足利義政から村田珠光の門人の鳥居引拙の所持となり、大文字屋疋田宗観を経て織田信長の所有となった。
天正5年(1577年)、信長は嫡男信忠が三位中将に昇進した祝いと家督相続の印として他10種の茶道具とともに初花を贈るが、天正10年(1582年)本能寺の変により流出。具体的な経緯は不明だが松平親宅の所有となる。
その後、徳川家康に献上され、天正11年(1583年)賤ヶ岳の戦いの戦勝祝いに豊臣秀吉へ贈られる。
このことは千宗易が島井宗室へ宛てた書状に書いている。初花を手に入れた秀吉は大阪城初の茶会を始め、たびたび大茶会にこれを飾った。
秀吉は初花を使用して見せることで、自分が織田政権の後継者だと周囲に示そうとしたのだと考えられる。
天正15年(1587年)、九州征伐により楢柴肩衝も秋月種実から秀吉の手に渡り、天下三肩衝が秀吉の元に揃う。
秀吉の臨終により宇喜多秀家へ相続されるが、秀家が関ヶ原の戦いに敗れたため再び家康の手に渡る。
大坂の役で戦功のあった家康の孫・松平忠直(結城秀康の子)に恩賞として与えられたが(褒美に領地を貰えなかった事に不満を持ち初花を打ち砕いたという話もあるが、初花が現存しているので作り話と考えられる)忠直改易時に将軍家に戻った。
(忠直の死亡後に行方不明になり元禄11年(1689年)に元越前家にあった初花を松平備中守が献上したとも) 忠昌が打ち砕いたとされる茶壷は修復され、『初花の茶壷』として福井市愛宕坂茶道美術館に保管されている。
なお、『初花の茶入』は、織田信長が名物狩りで商人の大文字屋から取り上げたもので、現在は国の重要文化財に指定され、東京の徳川記念財団に保管されている。

楢柴肩衝

釉色が濃いアメ色で、これを「恋」にかけて『万葉集』の「御狩する狩場の小野の楢柴の汝はまさで恋ぞまされる」の歌に因みこの名になったとされる。
千利休の高弟・山上宗二が天下一品の壷と絶賛したという。

もともとは足利義政の所有物であったが、その死後は持ち主を転々とし、堺の商人を通じて、博多の島井宗室へ渡った。
織田信長もこの名物を欲しがり、商売の保護を条件に献上するように宗室に命じたとされるが、本能寺の変により実現しなかった。

その後は、大友宗麟から大金を出すので譲って欲しいと再三要請があったが、宗室はこれを断り続けた。
のち、大友氏の衰退と逆に博多のある筑前国で勢力を伸ばしてきた秋月種実が、この名物を欲したため譲る事となった。
この際、秋月氏から大豆百俵が送られているが、楢柴の価値は約3000貫、現在の価値でいえば数億円以上ともされており、宗室ら博多商人が武力行使をちらつかせられ、半ば脅迫に近い形で奪われたのは歴然としている。
しかし、種実が手にしていた期間も長くは無く、九州征伐の際、島津氏に属していた秋月氏から、降伏の証として、豊臣秀吉へと献上され、天下三肩衝は全て秀吉の物となった。
後に秀吉臨終の際に、徳川家康に授けられ徳川将軍家の所有となったが、明暦3年(1657年)の明暦の大火で消失したという。

珠光小茄子
上杉瓢簞
古天明平蜘蛛
一富士二鷹三茄子
富士は「無事」、鷹は「高い」、なすは事を「成す」という掛け言葉


名物茶入
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by cwj36 | 2011-03-16 17:18 | -古代日本-


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